龍野倶楽部 掲示板

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山本周五郎と龍野藩 森川 敏彦

2018/03/11 (Sun) 14:36:12

司馬遼太郎が脇坂安治を描いた小説「貂の皮」(てんのかわ)はよく知られていますが、本投稿は山本周五郎と龍野藩との関りについてです。これは現在周五郎に夢中の友人から教えてもらいました。
 山本周五郎は短編「癇癪料24万石」(新潮文庫「人情武士道」)を書いています。生来の癇癪持ちが災いして所領24万石を棒に振ったという京極忠高の物語ですが、彼は淀君の妹初を奥方に迎えた戦国武将京極高次の長男です。忠高は高次から所領24万石を受け継ぎ江戸幕府2代将軍秀忠に使えますが、意地悪な大名の挑発に逆上し江戸幕府のご法度を破ります。その挙句所領没収の憂き目にあいますが、彼の甥高和がなんとか家門だけは受け継ぎ6万石で出雲松江藩から龍野に引っ越してきます。というお話で、小説中わずか最後の一文に龍野が出てきます。Wikipediaでは忠高の所領26万石とあり、若干の食い違いがあります。
 甥高和の方ですが、同じくWikipediaに「寛永14年(1637年)に松江26万石の藩主であった伯父の京極忠高が嫡子を残さずに没したため、その末期養子となり、播磨龍野藩6万石へと減封される。万治元年(1658年)に…讃岐丸亀藩6万石に移封となる。」とあり、約20年間龍野地方を治めたことになります。高和の移封の結果「龍野領は3度目に幕府領となり、龍野城も破却された。」ようです。
 ということで山本周五郎の小説はわずか1行ではありますが、龍野藩の創成期に深く関係した話でありました。

Re:山本周五郎と龍野藩補足  森川 敏彦

2018/03/14 (Wed) 10:07:18

関連しますので、龍野藩の始まりと、脇坂龍野藩の始まりについて追記します。ご存じなかった方々には恐らく興味深い話題でしょう。

さてそもそも龍野は「江戸時代初頭は播磨一国を支配する姫路藩池田氏の領有する地であった。元和3年(1617年)池田利隆が33歳の若さで没すると、・・・(龍野藩も含めた)小藩に分割された。このうち龍野には上総国大多喜藩より譜代大名の本多政朝が5万石で入封し、龍野藩が立藩した。政朝は鶏籠山上の山城であった龍野城を山麓に移し、近世平山城として再構築した。」(Wikipedia)というのが龍野藩の興りです。大坂夏の陣は1615年ですね。

脇坂氏が龍野に入ってくるのは、藩祖とされている初代安治ではなく三代安政のときであり、「寛文12年(1672年)、信濃国飯田藩より脇坂安政が5万3千石で入封した。幕府より城の再建を許され、龍野城は修築された。脇坂家は元々外様大名であったが、安政は老中堀田正盛の次男であったため、天和3年(1683年)に願譜代となった。のち、脇坂家は正規の譜代となっている。」(Wikipedia)ということで、安治自身は龍野を知りません。また京極高和が龍野を出た1658年から、脇坂安政入封の1672までの14-15年間は幕府の直轄地(天領)でした。以降脇坂龍野藩は明治維新まで約200年続きますが、考えてみればこれは凄いことですね。田舎藩ながら老中も3人輩出しています。私の周りにも安政について飯田から龍野に移ってきたというお家柄の人が何人かいらっしゃいます。ご先祖が移住してから350年ほどの子孫であり、これも凄いことですね。

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