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100分de名著 いよいよ三木清 - 森川 敏彦
2017/04/01 (Sat) 13:02:14
NHKの100分de名著:
4月はいよいよ三木清(1897-1945)の人生論ノートが取り上げられますね。とても難解ですが・・・
解説はアドラー心理学で有名な岸見一郎さんです。
この人の語り口もすばらしいですね。
時間月曜午後10:25-10:50 Eテレ 4/3,10,17,24
再放送水曜午後0:00-0:25 Eテレ 4/5,12,19,26
岸見さん解説の角川ソフィア文庫「人生論ノート」も今年3月に出ています。
なお今年は三木清生誕120周年になるようです。
Re: 100分de名著 いよいよ三木清 - 森川 敏彦
2017/04/29 (Sat) 15:52:56
今月のはじめにご紹介しました100分de名著「人生論ノート」は好評のうちに終了したようですが、本日の朝日朝刊18面の"
TVがぶり寄り"というコラムで、番組の簡単な紹介をしつつ、「TVを見てこんなに感動したことはない。」と結んでありました(ライター和田静香さん)。
本番組はご覧になった方も多いと思いますが、哲学者「岸見一郎」さんが深い洞察と巧みな話術で解説されており、私も少しはわかった気になりました。また同時に三木の偉大さを改めて感じた番組でもありました。NHKも捨てたもんじゃない!
Re: 100分de名著 いよいよ三木清 再放送 - 森川 敏彦
2018/10/08 (Mon) 22:00:12
昨年好評を博したNHKの100分de名著「人生論ノート」が11月に再放送されます。解説は岸見一郎さんです。昨年見逃した方はどうぞ
放映時刻は以下の通り
初回 月曜午後10:25-10:50 Eテレ
再放送水曜午後 0:00- 0:25 Eテレ
三木の著作にご関心をお持ちの方への情報 - 森川 敏彦
2018/11/18 (Sun) 21:43:46
岩波書店の三木清全集(第一巻~第二十巻、1966年刊行)をPDF化された方がおられまして、Web上に掲載されています。著作権の継続している部分は含まれておらず、自由にダウンロードできます。旧字旧仮名遣いです。
第一巻にはパスカルにおける人間の研究・人生論ノート他が収められています。
アドレスはちょっと長いですが以下に。
https://eur02.safelinks.protection.outlook.com/?url=http%3A%2F%2Fbook.geocities.jp%2Fshomiki06%2Fzenpdf.html&data=02%7C01%7C%7C974741b14a134ce3154a08d64abdb9fd%7C84df9e7fe9f640afb435aaaaaaaaaaaa%7C1%7C0%7C636778576056703888&sdata=JCUuFDIf7b2%2Bti%2BuFCkQQQHS8VzK8wd8CKadwC21vvo%3D&reserved=0
なおこのサイトは来年1月に閉鎖され、内容は以下の昭和前期思潮小文庫に移転されます。
https://sityokobunko.wixsite.com/zenki-sityo
山本周五郎と龍野藩 - 森川 敏彦
2018/03/11 (Sun) 14:36:12
司馬遼太郎が脇坂安治を描いた小説「貂の皮」(てんのかわ)はよく知られていますが、本投稿は山本周五郎と龍野藩との関りについてです。これは現在周五郎に夢中の友人から教えてもらいました。
山本周五郎は短編「癇癪料24万石」(新潮文庫「人情武士道」)を書いています。生来の癇癪持ちが災いして所領24万石を棒に振ったという京極忠高の物語ですが、彼は淀君の妹初を奥方に迎えた戦国武将京極高次の長男です。忠高は高次から所領24万石を受け継ぎ江戸幕府2代将軍秀忠に使えますが、意地悪な大名の挑発に逆上し江戸幕府のご法度を破ります。その挙句所領没収の憂き目にあいますが、彼の甥高和がなんとか家門だけは受け継ぎ6万石で出雲松江藩から龍野に引っ越してきます。というお話で、小説中わずか最後の一文に龍野が出てきます。Wikipediaでは忠高の所領26万石とあり、若干の食い違いがあります。
甥高和の方ですが、同じくWikipediaに「寛永14年(1637年)に松江26万石の藩主であった伯父の京極忠高が嫡子を残さずに没したため、その末期養子となり、播磨龍野藩6万石へと減封される。万治元年(1658年)に…讃岐丸亀藩6万石に移封となる。」とあり、約20年間龍野地方を治めたことになります。高和の移封の結果「龍野領は3度目に幕府領となり、龍野城も破却された。」ようです。
ということで山本周五郎の小説はわずか1行ではありますが、龍野藩の創成期に深く関係した話でありました。
Re:山本周五郎と龍野藩補足 - 森川 敏彦
2018/03/14 (Wed) 10:07:18
関連しますので、龍野藩の始まりと、脇坂龍野藩の始まりについて追記します。ご存じなかった方々には恐らく興味深い話題でしょう。
さてそもそも龍野は「江戸時代初頭は播磨一国を支配する姫路藩池田氏の領有する地であった。元和3年(1617年)池田利隆が33歳の若さで没すると、・・・(龍野藩も含めた)小藩に分割された。このうち龍野には上総国大多喜藩より譜代大名の本多政朝が5万石で入封し、龍野藩が立藩した。政朝は鶏籠山上の山城であった龍野城を山麓に移し、近世平山城として再構築した。」(Wikipedia)というのが龍野藩の興りです。大坂夏の陣は1615年ですね。
脇坂氏が龍野に入ってくるのは、藩祖とされている初代安治ではなく三代安政のときであり、「寛文12年(1672年)、信濃国飯田藩より脇坂安政が5万3千石で入封した。幕府より城の再建を許され、龍野城は修築された。脇坂家は元々外様大名であったが、安政は老中堀田正盛の次男であったため、天和3年(1683年)に願譜代となった。のち、脇坂家は正規の譜代となっている。」(Wikipedia)ということで、安治自身は龍野を知りません。また京極高和が龍野を出た1658年から、脇坂安政入封の1672までの14-15年間は幕府の直轄地(天領)でした。以降脇坂龍野藩は明治維新まで約200年続きますが、考えてみればこれは凄いことですね。田舎藩ながら老中も3人輩出しています。私の周りにも安政について飯田から龍野に移ってきたというお家柄の人が何人かいらっしゃいます。ご先祖が移住してから350年ほどの子孫であり、これも凄いことですね。
龍野 碑巡り(いしぶみめぐり) - 森川 敏彦
2017/11/21 (Tue) 10:31:55
森川です。本倶楽部代表富岡さんからの情報です。
赤とんぼ荘HP 碑巡り(いしぶみめぐり)を開いてみてください。
http://www.akatonboso.com/abouttatsuno/ishibumi/index.html
井原西鶴、松尾芭蕉、三木露風、矢野勘治、三木清、稲畑汀子などそうそうたる人たちの句碑・歌碑・詩碑に巡り合えます。
マップをダウンロードして、龍野に生まれ育った人、龍野を訪れた文化人たちに想いを馳せながら、秋の龍野を巡るのもまた一興ですね。
国木田独歩の祖父国丸の墓句碑も常照寺にあります。
芭蕉自身は龍野には来ていませんが、西鶴は来龍し法雲寺で句会を催しています。彼の句は「花ぞ雲動き出でたる龍野衆」。
稲畑汀子の句は「冬になほ龍野の紅葉心惹く」で、西鶴と同じ聚遠亭に。第3回龍野市民俳句大会席上の作品だそうです。聚遠亭には三木露風の詩碑「ふるさとの」もあります。この詩は藤原義江が歌っていますね。
勿論龍野公園には言わずと知れた矢野勘治作詞一高寮歌「春爛漫の・・」(西寮)、「ああ玉杯に・・」(東寮)寮歌碑があり、近くに三木清の歌碑「しんじつの・・」が、少し離れて露風の歌碑「赤とんぼ」があります。
なんだか体がじんじんして来ますね。
Re: 龍野 碑巡り(いしぶみめぐり) - 谷口 雅弘
2017/12/01 (Fri) 19:25:49
龍野 碑巡り 多分出所は「たつのへようきたったなあ」というホームページの中にあります。現在そことリンクのお願いをしているところです。他にも色々載ってます。市役所で聞きました。
薮田翔一作品のコンサートチケット - 森川 敏彦
2017/05/22 (Mon) 11:55:38
本HPで紹介されている通り,6/4(日)のアンサンブルフリー第25回公演(京都コンサートホール)で,たつの市出身の新進気鋭の作曲家薮田翔一さんの2作品が上演されます.いずれもウィーン及びジュネーブの国際コンクールで最優秀作品・優勝作品となったもので,かつ日本初演及び世界初演となります.
当日受け取りチケットは以下のアドレスから入手可能です.
http://ensemblefree.jp/
チケットWeb予約フォームをクリックしてください.簡単です.
(6.3まで)
Re: 薮田翔一作品のコンサートチケット - 森川 敏彦
2017/06/05 (Mon) 09:19:04
昨日初夏のさわやかなお天気の下,アンサンブル・フリー第25回公演(京都コンサートホール)に行ってきました.フレッシュな大変よい演奏でした.
薮田さんの曲anima(日本初演)とGush(世界初演)はいずれも極めてオリジナリティの高いもので,薮田さんが新しい音楽の創造者であることを実感しました.1曲目のanimaは生命,魂を表現する言葉だそうですが,出だしからわけもなく涙があふれてきました.大変な才能です.
アンサンブル・フリーは,指揮者の浅野亮介さんが2000年に立ち上げられた楽団だそうですが,素晴らしい演奏をされ,一遍に好きになりました.ムソルグスキーの展覧会の絵やアンコールのラベルのボレロも堪能させられました.
薮田さんも来ておられ,演奏会後少し立ち話をしました.スナップ写真を載せられればよかったのですが,失礼かと思い撮りませんでした.いずれにしろこのあふれる才能は留まるところを知らず,飛躍し続けることでしょう.
帰りは京都府立植物園に寄りました.バラがきれいに咲いていました.
脇坂藩 手水鉢の記事へのコメント - 森川 敏彦
2016/09/28 (Wed) 14:19:59
森川です。コメントの積りが別記事になりました。悪しからず。
投稿された脇坂藩の手水鉢(銀座7丁目)は新橋―汐留地区の龍野藩邸跡から出土したものと思われます。ここは銀座の隣です。
好きな方はよくご存じなのですが、丁度現在のパナソニック汐留ミュージアムを含む辺りが龍野藩の江戸屋敷でした。
先日NHKで江戸古地図の旅という番組(2003)の再放送をやっていましたが、汐留の辺りが出てきて興味深いものでした(添付写真参照)。輪違紋の瓦なども出土したようです。昔のお堀沿いに高速が走っているようなのも興味深いですね。
なお古地図に脇坂中務とありますが、中務少輔は藩祖安治が秀吉時代に任官したときの呼称で、それが残っているということは江戸時代もずっとそのように呼ばれていたということでしょうか? 中国名では中書と呼ぶらしく、京阪沿線の地名中書島は、安治が一時その辺りに住んでいたことから付けられた地名だそうです。
幾分曖昧な知識を含んだ記述ご容赦
野見宿禰ブログ - 森川 敏彦
2016/08/21 (Sun) 14:43:48
皆様にお知らせします。
このほど会員(世話人会監事)の谷口雅弘さんにより、本HPのサブHとして竜野倶楽部ブログが開設されました。
http://tatsunokurabu.seesaa.net/
ブログで扱うテーマは伝説の「野見宿禰」です。野見宿禰は当麻蹴速を蹴殺したご存知相撲の元祖と目されている人物ですが、日本書紀には当時の風習であった貴人の墓への殉死人柱を止め埴輪に変えることを天皇(垂仁)に進言したとあります。なんせ古代のこととてわからぬことも多いようですが、野見宿禰は出雲大社13代宮司襲髄命(かねすねのみこと)の別称だったともいわれており、H25年に出雲大社内に野見宿禰神社が創建されています。
播磨風土記では故郷の出雲に帰る途中龍野付近で亡くなり、人々が立ち並んでお墓のための石を運んだことから立野と呼ばれたと書いてあり、これが龍野の地名の語源とされています。
野見宿禰の墓は龍野町を包む的場山の中腹にあり、当時をしのばせますが、これは明治時代に作られたもので、それ以前はどうだったかわからないようです。最近このお墓がパワースポットとして人気が出始めています。
野見宿禰は単に伝説上の人物だともいわれますが、彼にまつわる話はミステリアスで歴史に対するロマンを駆り立てますね。この人物について徹底的に解き明かそうというのがブログ開設の理由です。
龍野倶楽部内外、素人玄人を問わず関心のある方、一度上記ブログを覗き、投稿されてみてはいかがでしょうか?情報提供大いに歓迎です。
なお野見宿禰については、信原克哉氏の著書「野見宿禰の墓屋」(写真)が力作で大いに参考になると思われます。
まちづくり:リアーチェ(イタリア)の例 - 森川 敏彦
2016/06/14 (Tue) 21:27:55
森川です。
久し振に投稿します。
土曜日の旅番組でみましたが、イタリア半島の先端、足の親指の付け根あたりにある人口2000足らずの過疎の街(村?)「リアーチェ」の起死回生の復活策はナント難民受け入れ~エエ~~!
結果は、どっと難民が流れ込み一挙に国際色豊かな街となり、
難民の持ち込んだの民芸品が人気を呼んで多くの観光客が訪れる様になったそうです。
民族軋轢が起こりそうですが、和気あいあいとしてお互いに助け合い、うまくいっているとのこと。
何かまちづくりのヒントがあるかもと投稿しました(^_^.)